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死ぬことの恐怖

 前々回に「死に目をつぶらないで」と題して書いたが、周りの人たちは(自分も含めて)必ず訪れる「死」に対して、必ずしも正面から向き合っていない理由として、「死」に対する恐怖があるのかも知れない。

 死ぬことに対する恐怖がどこにあるのかを考えてみると、一つには長年住み慣れた生活との別れや、親しみ合った人たちとの別れ等があり、他方では「死ぬ時の苦痛」があるように思うが、どれほどの恐怖に感じているのだろうか。

 犯罪の極刑として「死刑」があると言うことは法律的にも「死」が人間にとって一番耐え難いものであるとの認識であり、どうしても避けたいもののようである。

 しかし一方で、毎年日本だけで3万人を超える人たちが自殺している事実をどう捉えたらいいのだろうか。勿論、死ぬことの恐怖よりは、この世に生きて行く苦痛の方が大きいと判断して死を選ぶのだと考えられるが、このことは死が人間にとって一番耐え難いものであると言う論拠からすると間違っているようである。

 ましてや、私がここで書いているように、「魂」のベースで考えると、生物に「死」などないのだと言う考え方に立てば、死ぬこと事態が否定されているのだから、その恐怖などありえないと考えられるのだが。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

お釈迦様は、輪廻転生から涅槃の世界に導かれます。
物質世界には、時間が発生し、やがてすべての物質を返却して次の世に向かいます。次の世は時間の流れが緩やかです。
現世で人間修行をするとともに喜怒哀楽を味わっておくべきです。
次世は穏やかで安穏なのですが物足らない味気ないものです。
この物足らなくて味気ない状態に満足できるようになるのが悟りだと思います。
次世は、つまらないものか、そんなことはありません。
ある意味において、思うがままになります。
それは、人々のためになることが前提です。
ここで喜怒哀楽の経験が生かされます。
人々を苦難から救い取るのです。
しかし、なるようにしかなりません。
真心って難しいですよね。
凡夫のたわごとでした、失礼しました。

投稿: ソレイユ | 2009年5月 2日 (土) 11時10分

 ソレイユさん、コメント有難うございました。ですが何を言おうとされているのかよく分かりませんでした。しかし、宗教的なことで議論をしたいとは思っていません。それぞれの考えがあり、信じる道があると思うからです。
 この項目で、私が言いたかったのは、一般的に人々は「死」というものを避けようとしているけれども、この世の中には「死」よりも、もっと耐え難いことがあるし、よく考えてみると、「死ぬこと」は意外と普通のことではないかということが言いたかっただけです。

投稿: KAJI | 2009年5月 2日 (土) 19時14分

 かじさま 難しい事は判りませんが、死に直面していない今は死ぬことが怖くありません。
 今一番恐れていることは、老いにより自分が自分で無くなり、家族に迷惑を掛けることです。

 

投稿: 空蝉 | 2009年5月14日 (木) 18時14分

 空蝉さん、お立ち寄り有難うございます。
 
 「死」への恐怖があるかどうかはともかくとして、今一番心配な点は、おっしゃってますように、体が動かなくなって、或いは痴呆になって、家族に多大な迷惑をかけることだと思います。

 このブログで「がん待望論」として書きましたが、そのような家族への迷惑をかけない前にお迎えが来て欲しいと思っていますが、こればかりはどうにもままなりません。

投稿: KAJI | 2009年5月15日 (金) 08時03分

細かいことかもしれませんが、「犯罪の極刑として「死刑」があると言うことは法律的にも「死」が人間にとって一番耐え難いものであるとの認識であり」というのは短絡的だと考えます。
犯罪を予防する観点からは、たしかに罰に対する恐怖を機能させると云うこともあるでしょう。
しかし死刑の意味としてもう一つ重要なのは、社会からの排除、その究極の形として絶対に社会復帰できない「死」がある。
つまらない夢想をするのですが、絶対地球に帰還できないロケットに、充分な食料その他を積んで、犯罪者をそれにより追放するなどならば、死刑に匹敵するのだろうと。

投稿: ネコ | 2012年1月24日 (火) 17時02分

 ネコさん、死刑が重大犯罪を犯した人をこの世から抹殺すると言うお考えもありますが、「目には目を」という考えがあるように思います。

 しかし、本文にも書いていますように、(ネコさんも提案頂いているの一種の死刑だと思いますが)この世に生きる希望を無くして生きるほどつらいことはないように思います。ですから、私は終身刑が一番ふさわしいのではと思います。

投稿: KAJI | 2012年1月24日 (火) 17時36分

先日、「短絡的」などと書いたのは過剰な表現で失礼だったと反省しております(^^;しかしこれまで(少しだけですが)梶村さんの書かれたものを読んだ感想として、「物事を一義的に理解される」傾向があるように感じました。私は多義的に考える方を好みます。
話は飛躍しますが、量子力学で特にヒュー・エヴェレット以降の多世界解釈が面白いと思っています。ボーアなどの「測定した瞬間に収束」するのではなく、依然として様々な状態が確率的に重なり合っているとする考え方です。物理学的にそうであるように、世の中もそうなのでは。
話は替わり、「生きること死ぬこと」を考えるのに、直接それに言及する部分は少ないものの面白い本があります。既にご存じの可能性も高いと思いつつ。
http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E9%96%93%E8%87%A8%E7%B5%82%E5%9B%B3%E5%B7%BB%E3%80%881%E3%80%89-%E5%BE%B3%E9%96%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E9%A2%A8%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/419891477X/ref=pd_sim_b_2

投稿: ネコ | 2012年1月26日 (木) 11時29分

 ネコさん、物事には一義的に解決しない点があることは承知している積りです。ですが、この様なブログで自分の意見を表明するときは、ある意味自分としての結論を書かないと、何を主張しているのか分からなくなると思っています。

 或いは、自分に言い聞かしているのかも知れません。

 ネコさんの後半の物理の話は(私も物理屋ですが)何をおっしゃりたいのかよく理解できません。

 お勧めいただきました本は取りあえず1巻だけ注文しました。有難うございました。

投稿: KAJI | 2012年1月29日 (日) 09時06分

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